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虚無病 第一章 Kyomubyou Chapter 1 by (Hiromu Akita) Lyrics

Genre: misc | Year: 2021

“観察報告書”
(出所不明。ファイル共有ソフトで流れたもの。)
(一部抜粋)

おしなべて無気力、無感動。全ての者が一日の大半を寝て、あるいは座って過ごす。簡単な意思の疎通は可能だが、能動的なコミュニケーションは調査期間中一度も見られなかった。生理的欲求にともなう、必要最低限の行動(食事、排泄)は観察員に促されてはじめて行う。それ以外のおおよその人間的活動は一度も見受けられなかった。
被観察者自身の氏名や、生い立ちに関する呼びかけには頷きでの返答をする事から、意識においての、記銘、保持については異常ないと推測できる。だが、その全貌については、専門の医療機関での更なる調査が必要だ。しかし倫理的、法的な観点から本人又は親族の許諾が必要不可欠なため、厚生労働省からの(つまり国からの)この疾患への定義づけが待たれている状況である。

また、発症から一年経過とされている九名の罹患者においても、回復にいたった者は未だおらず、精神的、器質的な疾患の範疇をこえた、恒久的な障害として扱う可能性も鑑みる必要がある。

感染経路が未だ特定できないため、これを感染症とは定義できず、またテレビ、ラジオ、電話、インターネット上の動画や音声の視聴、書籍、新聞、コンピュータ上のテキストなどの閲覧により感染したとの報告が多数あるため、“言葉”による感染の可能性を指摘する声が広く伝聞されているが、その科学的根拠は希薄で、噂の域を出ていない。
その発症時の状況から、心因的なショックやストレスによる精神疾患の可能性が高く、PTSDやうつ病との症状の類似性も含め、今後の調査過程においては更なる精査が求められる。


“ニュースサイトの記事”
二〇一六年十月二十二日

昨今、発症が急速に拡大しており、その猛威が懸念されている、いわゆる「虚無症候群」について、二十二日、厚生労働大臣が緊急会見を開き「非常事態状況下にはない」と明言した。
「症状も軽度で、感染症と確定する根拠もない」ため、「国内に懸念される非常事態とは言いがたい」とし、事実上のパンデミックを否定する見解を示した。
「虚無症候群」とは先週十五日から突発的に発症が拡大した原因不明の疾患で、その症状は無気力、無感動、行動力の低下など、精神疾患の症状に似ていると指摘されているが、その原因はまだ特定されていない。
インターネット上では、「虚無病」と呼ばれ、感染者の家族らが、症状の異常性をSNS上で訴えた事がきっかけとなり社会問題にまで発展している。また、“テレビ、インターネットで感染する”との噂が爆発的に広がり、今回の厚生労働大臣の会見は、この一連の騒動に答える形で開かれた。
その症状から、うつ病や引きこもりなど、現代の社会問題にも関連付けられて語られることも多いこの「虚無症候群」いまだ解明されていない謎は多いが、現代社会の心の闇の深さを推し量る、今日の象徴ともいえる事件かもしれない。


「ナツキ、やめなって」
サラの言葉に驚いて、僕は手にしたコピー用紙の束から目を上げた。カビの臭いが鼻をかすめた。
「虚無病うつるよ」
彼女は言い放ち、パソコンの前の椅子に腰掛けて窓の外を退屈そうに眺めた。
僕はコピー用紙を、積み上げられた資料の山に戻し、椅子に座るサラを見つめた。 開け放った窓の外で鳥が鳴いている。彼女の首筋を流れる汗が、ティーシャツの首元から胸元へもぐり込むのをたっぷりと時間をかけて見た。
外で賑やかな夏たちのさえずりは、のろまな時間の流れを嘲笑ってるみたいだ。
「ヒカルは?」
僕はヒカルが集めた書類の山を、途方もない気持ちで眺めながら聞いた。
「お父さんと話してる」
サラはそう答えてしばらく黙ったあと、「つまらないね」と呟いた。

あらゆる退屈しのぎは奪われてしまった。テレビもラジオも、インターネットも本も、もはや命を賭して手にするものになった。
僕はベッドにもたれて、たしかに、と思った。
「この世界はつまらない」